本と映画のセレクト

8人が選ぶ本と映画

文筆家五所純子

人間はずっと拾って
生きてきた

文筆家

五所純子ごしょ・じゅんこ

1979年生まれ。米を食べすぎる癖がある。もうもうと湯気をあげる炊きたての米と、常温に冷えて甘みを増した米は、べつの料理としておいしい。著書に『薬を食う女たち』(河出書房新社、2021年)。

五所純子

五所純子さんの2冊と3本

  1. 1

    映画『土』

    内田吐夢監督(1939年)

  2. 2

    映画『落穂拾い』

    アニエス・ヴァルダ監督(2000年)

  3. 3

    『ナチスのキッチン「食べること」の環境史 決定版』

    藤原辰史 著(共和国/2,970円)

  4. 4

    『物食う女』

    武田百合子 監修(北宋社 ※絶版)

  5. 5

    映画『人間は何を食べてきたか』

    ジブリ学術ライブラリー制作(1985〜1994年)

「昨日おとして今日またひろう」という歌謡曲を聴いたとき、スモモの話だと思った。恋の歌だった。地面に落ちたスモモをわたしが拾うと、それは鳥に食わせるもので、人間のあんたは木から直接もぎとって食べなさい、と祖母に言われた。祖母はスモモをぽーんと雑木林に向かって投げた。落果して土や小石で傷ついたスモモを嫌いになれないわたしは、祖母や鳥の目を盗むようにして拾って食べた。

まるで土が穢れのようだけれど、祖母もわたしも土に触れる日々だった。ナス、キュウリ、トマト、ニガウリ、ピーマン、カボチャ、百姓仕事というのは、うまく落としてうまく拾うのが極意なのだと感じた。百姓というのはいつのまにか差別的用語として遠ざけられ、わたしは記憶ごと奪われる気がしてしまう。骨がらみの因習や道徳観、自己犠牲的な女性像、土地の私有性にはきつい思いがするけれど、土の物質性をまざまざ映した『土』はすごい。乾き、割れ、潤い、生やし、茂らせる。

拾いものを集めて、キッチンで煮たり焼いたりする。キッチンは人の生命の根幹を支える労働現場であり、いまなお合理化が追求される最前衛でもあるだろう。『ナチスのキッチン』は歴史的な空間としてキッチンをふりかえる。給食の始まり、主婦たちの言葉などから、現代の食の姿が膨らむ。

キッチンは女たちで溢れ、女どうしの紛争があり密約があった。『物食う女』は小説、詩、随筆などのアンソロジーで、日本語がどのように食と人間を書いてきたのかを見渡せる。

わたしは鳥の領分を犯していたのだろうか。ふと省みるとき、『人間は何を食べてきたか』を見かえしている。

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