フードエッセイスト平野紗季子
編集者・ライター姜尚美

対談

本を通して考える、
「食」喜怒哀楽。

食の書き手として、多くの読者をうならせてきたふたり。
お互いに「ファンです!」と言いながら念願の初対面となったこの日、
これまでに読んできた本のこと、外食とお店のこと、
食べるにまつわる倫理まで、時間のかぎり話しました。

平野紗季子

フードエッセイスト

平野紗季子ひらの・さきこ

1991年生まれ。雑誌等で多数の連載を持つほか、菓子ブランド「(NO)RAISIN SANDWICH」のプロデュースなども。

姜尚美

撮影/いわいあや

編集者・ライター

姜尚美かん・さんみ

1974年生まれ。2007年よりフリーの編集者・ライターに。街と味の関係に興味を持ち、書籍や雑誌で取材、執筆を行う。

名もなき人たちの食と声
『聞き書 京都の食事』

平野さん(以下

姜さんが選ばれた本、どれも気になるんですけど、『聞き書 京都の食事』は特別な食事の話ではなくて、あるひとつの時代の暮らしを記述していくような試みなんですよね。

姜さん(以下

そうです。このシリーズが編まれることになったのが1980年代で。農林漁業と食がちゃんと結びついた場や行事がこのままでは失われてしまうという当時の危機感から、47都道府県350余地域の約5000人のおばあさんに話を聞いて、長い年月をかけてつくられた本なんですね。

はぁ、すごい。

カラー写真も豊富で、重箱のおはぎとか、いかにも手慣れた感じで過不足なくぴったり詰められているんです。

暮らしのなかで見出されてきた美意識ですね。

そう、この写真を見てるだけでも価値があると思います。だけど、はたして自分がこのおばあさんの世代になった時に、こういう本がつくれるだろうか、話すべきことが何もないんじゃないかなと思ってしまいます。

その本で取材対象になってるのは、歴史に名を残す人じゃなくて、名もなき人たちのサイレントフードですよね。LAのフードライターのジョナサン・ゴールドが、〝千のレストランには千通りの偉大さがある〟という言葉を残してるんですけど、それぞれの人生、それぞれの店にそれぞれのよさと価値があるというその視点がかっこいいと思うんです。きっと取材されたおばあさん達も〝こんなこと取材して何になるの?〟と謙遜されたでしょうけど、それがまたすばらしいし、これを残してくれてありがとうって思います。

平野さんの話を聞いていると、私の世代にもサイレントフードがあるんじゃないかと思えてきました。

そうですよ。絶対にそこには価値があって、それが知らないうちに消えてしまうことこそが悲しい気がします。

日本各地の食の景色に
どう近づくことができるか

この『聞き書』シリーズは東京都版だけがちょっと変わっていて、この大都会で何を聞けばいいのかという逡巡から前書きが始まっています。都市生活で多様になった食文化を書き留めることの難しさは当時すでに認識されてたんでしょうね。平野さんは東京だけでなく、地方取材の機会もありますよね。

私の場合、その土地に根付いた食材や食文化を軸に遠方からも人を集めているいわゆる“デスティネーション・レストラン”へ行く機会が多いのですが、そこでシェフが郷土食をアップデートさせたような料理をいただいたら、次の日にはその郷土食が実際に根付いている場所に行って、普段それを食べてる方にお話を聞くように心がけています。

その両方の味を知るという体験こそ、食べ手が担える役割ですよね。そういうことを通して、ようやく土地の全体像がちょっとずつ見えてくる。私はどうしても京都が軸になるので、自分のスタンダードを疑うところから始めないと、よその地方を取材するときに間違うこともあるなって感じてます。だから、知らない土地では取材対象となる方の生い立ちをできるだけ長く聞いた上で、食のエピソードを捉えるように気をつけています。

違う時代とか知らない土地、わかりえない価値観とか、自分の人生の中にまったく存在してない食の風景に憧れるところもありますよね。

自分とは違う世界だけど憧れる?

どんなに願っても知り得ない感覚というのかな。私は私の人生しか生きられない。だからこそ読書をするんだなって思います。

外食の場が担ってきたもの
『縁食論』

私は藤原辰史先生の著作が好きで、食を通して20世紀のダークヒストリーを描くことから逃げない姿勢に感銘を受けているんです。食の楽しさ、幸せを表現してくださいという依頼が私には多くて、もちろん、私もそれが大好きなんですけど、でも、食って喜怒哀楽のすべてがあると思います。姜さんが挙げられた『もの食う人びと』もそうですけど、光と影の影の部分から逃げずに書かれた本は、得るものがとても大きいです。

そうですよね。この『縁食論』でも強制収容所の食の話が出てきますけど、極限の状態になった時、私も自分がスープをくすねてきたら、ひとり占めせずにみんなと山分けしなければなって、勝手に腹をくくってるんですよ。

この本で唱えられる、孤食でもなく、共食ほど共同体意識の強くない「縁食」というのもコロナで奪われたもののひとつですが、だからこそ必要性を再認識させられました。もともと私はひとりでご飯を食べるのが好きで、だけど、背中合わせで誰かがいることに心が満たされる気持ちもあって。

わかります。お店って、ひとりで食べててもひとりじゃないんですよね。

縁側のようにゆるくつながっているような、つながってないような場は街の飲食店にもあり、それはとても尊いものだと思うのですが、このコロナ禍でお店の人たちが「自分はもう必要とされてないんだ」と思ってしまうのが一番辛くて。私はあなたたちが必要なんですと言い続けたいし、『味な店』でもそのことを書いたつもりです。

食べることの倫理、
だけど誰も否定しないこと

私は『遺したい味』で、それを〝生活を信じる〟という言葉で書きました。人は1日中食べることだけを考えてるわけにはいかないから、無理に盛り上げるのでも粗末に扱うのでもなく、自分の思う生活に嘘をつかずに、息切れしないように、平熱で食と関わっていきたいという気持ちがコロナ禍でむしろ強くなりました。

生活を信じる、やわらかくて素敵な言葉ですね。だけど実はそれって、とても体力のいることだし、学びも必要ですよね。単純に自分の好きなものを食べるという話じゃなくて。

そうですね。特に今のような非常時には私が時間やお金を投じる1食1食が誰かを助けたり、誰かの心を満たすことにも直結する。せめて選択を粗末にしたくないなと思います。

『農と食の新しい倫理』という本を私も挙げましたけど、食べることの倫理を必然的に考えさせられる時代になってきて、今、自分自身さまざまな矛盾をはらんだままものを食べることの難しさをすごく感じています。

ほんと難しいですよね。

例えば農と食をつなぎ直そうとしているシェフや生産者の方々には畏敬すら抱きますし、姜さんのように食と人に実直に向き合う書き手の方にも憧れる中で、自分が何を食べてどう選んで生きていくかということに対して、責任を持ちたいと思うようになりました。だけど、ファストフードがものすごい悪だと言いきれるかといえば、それに癒やされてきた自分もいて…。

私もそんなにストイックではいられないですよ。自分が無理をすると、それが誰かの食を否定する発言や行動につながっていく気がしますし。痛烈なベジタリアン批判をしながらも彼らに肉食者のこれからあるべき姿を学ぼうとした『肉食の哲学』の著者、ドミニク・レステルのように、他者を知り、違和感を覚えても、それをむしろ糧にして前に進む体力を持ちたいです。

またジョナサン・ゴールドの話を思い出しちゃったんですけど、彼は苦手だなと思う店に何回も足を運ぶんです。ある韓国料理屋さんには17回も行って、〝僕にはこの店の料理は口に合わない。けど、とても素晴らしいものであると想像する〟って言うんです。その態度がとてもかっこいいなって。

えらいなぁ。17回というのもリアルな数字って感じがして、好感が持てますね。〝もうこれ以上は無理だ~〟ってなったんでしょうね。

優しくて強い、そんな境地までいけたらなと思います。

これまでと今、これからの「食」を考えたくなる本

姜尚美さんの選んだ5冊

  • 1『もの食う人びと』

    辺見庸 著/角川文庫/792円

    食を書くことについて初めて意識した本。新聞連載時、ルポに登場する苛烈な食を想像して、「私はこれを食べられるか?」「よし、いける」と思えるまで新聞を閉じない、という謎の自問自答をやっていました。

  • 2『聞き書 京都の食事(日本の食生活全集26)』

    「日本の食生活全集 京都」編集委員会編/農山漁村文化協会/3,038円

    47都道府県350余地域のおばあさん約5,000人に聞き書きした食の全集。編集方針が好きで、京都府版をお守りのように持っています。

  • 3『食( 復刻版 中国料理技術選集)』

    大谷光瑞 著/柴田書店/※絶版

    京都の西本願寺22世門主で探検家でもあった大谷光瑞が、欧州、中国、インドなどの料理や食材について書き残した本。素直な味の品評や食材調達の苦労に対する愚痴の記述が貴重な史料ともなっている。

  • 4『肉食の哲学』

    ドミニク・レステル 著、大辻都 訳/左右社/2,420円

    ベジタリアンと肉食者が倫理的に共存する道を探った挑発的エッセイ。世界には人の数だけ食へのさまざまな態度がある。多様性を望むなら山ほど学び、他者に理解を寄せる体力を持たなければと感じた一冊。

  • 5『縁食論 孤食と共食のあいだ』

    藤原辰史 著/ミシマ社/1,870円

    サードプレイスについての考察も面白かった。コロナ禍を経て、どのような新たな「居心地のよい空間」が捻り出されてくるのか、見ていたい。

平野紗季子さんの選んだ5冊

  • 1『食べることの社会学 食・身体・自己』

    デボラ・ ラプトン著、無藤隆、佐藤恵理子 訳/新曜社/※絶版

    〝食はあなたが何者かを語る社会的記号であり、あなたの夢と欲望の象徴である。〟学生時代に社会学の授業で出合った一冊。食から社会を眼差す視点を知るきっかけになった本。

  • 2『食べごしらえ おままごと』

    石牟礼道子 著/中公文庫/649円

    冒頭の言葉に雷が落ちるような衝撃を受けた。いつかこの言葉の食のあり方に近づきたいと思いながらずっと近づけない。

  • 3『世界は食でつながっている You and I Eat the Same』

    MAD 著、中村佐千江 訳/ KADOKAWA /3,190円

    他者を分断するためではなく、他者とつながるために食はあるのだと、気づかせてくれた希望の一冊。

  • 4『縁食論 孤食と共食のあいだ』

    藤原辰史 著/ミシマ社/1,870円

    孤食ほど孤独ではなく、共食ほど共同体への同調圧力が無い。縁食という食の場の可能性や価値を、人との繋がりが簡単に絶たれてしまうコロナ禍において、より一層認識させられた本。

  • 5『農と食の新しい倫理』

    秋津元輝、佐藤洋一郎、竹之内裕文 編著/昭和堂/3,300円

    これ以上地球に負荷をかけられない時代に、私は何を食べ、どう選び、生きていくのか。食に対してどう向き合うか。悩みながら生きる私にとって杖のような存在になってくれた一冊。

◎姜尚美さんの著書

『何度でも食べたい。あんこの本』京阪神エルマガジン社、2010年(文春文庫、2018年)/『京都の中華』京阪神エルマガジン社、2012年(幻冬舎文庫、2016年)/『遺したい味 わたしの東京、わたしの京都』平松洋子 共著、淡交社、2021年

◎平野紗季子さんの著書

『生まれた時からアルデンテ』平凡社、2014年/『私は散歩とごはんが好き(犬かよ)。』マガジンハウス、2020年/『POPEYE特別編集 味な店 完全版』マガジンハウス、2021年

「ニッポンの食について考えたくなる
本と映画。」トップへ戻る