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京都国際マンガミュージアムゆかりのマンガ研究者と、10年以上前から、マンガ飯の再現をブログで発信してきた梅本ゆうこさんが、マンガに登場する様々な料理を紹介しながら、食べることの奥にある時代や農業といった背景を知ることで、より魅力を増す料理の面白さや、マンガ作品の奥深さを伝えるスペシャルトークを展開しました。
テーマトーク
和食の職人の世界を描いた『味いちもんめ』
今日は最高の職人の世界を伝えるのにふさわしいマンガとして、『味いちもんめ』(著・倉田よしみ 原案・あべ善太)という作品を中心に、お話したいと思います。『味いちもんめ』は1980年代半ばから40年近く連載されている作品で、東京の「藤村」という料亭を舞台に、主人公の伊橋悟という青年が、追い回しという掃除や買い出しをする雑用係から、少しずつ、板前としてステップアップしていく様子が描かれます。本作で描かれる「食」には、主に「味」と「技」と「人」という三つの要素があります。まず「味」を象徴するものとして「名残茄子」というエピソードを紹介します。
ある時、藤村の親方が伊橋君の兄弟子に「そやけど味っちゅうもんが、旨い・不味い、甘い・辛いで終いやと思っとったらあかんで。さみしい味、悲しい味、いろいろあるんや、味っちゅうもんは」という話をします。その時点では、彼らは親方の言葉の意味を理解できていないんですが、後に兄弟子のおじいちゃんが亡くなって、兄弟子が、おじいちゃんが作った茄子をお土産に持ち帰ります。すると親方が、「この茄子は丹精を込めて作ったものだ。お前のおじいちゃんはきっと真面目な人だったんだろう」と言って、その茄子で名残茄子という料理を作る。それを食べて初めて、兄弟子は「味っちゅうもんは旨い・不味いでお終いやない」という親方の言葉の意味を理解する。職人とは、そういった味の深い部分まで理解するものなのだということを、大人の目線で描いているんですね。
包丁捌きという「技の伝承」「職人のあり方」を描いたシーン
次に「技」を象徴するエピソードです。伊橋君がある料理人と出会います。彼は一時名を成したが、今はわけあって寂れた温泉街の料理人で、余命幾許もない。そんな中で彼は寿命を削って、伊橋くんに鱧の捌き方を教えます。本作では基本的に料理の手順については、あまり細かく描かれることはないんですが、ここでは鱧の下処理から目打ち、裂き方、卸し方、骨切りまで、職人の包丁さばきが詳細に描かれます。職人の「技」の伝承を描いた、凄みあふれるシーンだと思います。
最後の「人」に関しては、職人というものが一体どういう人間なのかを考える上で興味深いエピソードがあります。伊橋君が京都の料亭で修行する「京都修行編」の中で、大将が年配の客方に海老芋をお勧めする。その人は海老芋は固いからなあという反応だったんですが、出された海老芋は、見た目は固そうなのに、食べるともちもちしていて中まで味が染みている。そこでその客の彼は「いけずやなあ、うまいだけやのうて、ええ意味で客を驚かす。さすがプロやな」と言って、続けて「大将、さすが職人やな」と言うんですよ。そこで伊橋くんは首を捻って、プロと職人の違いを大将に質問する。すると大将は「一口では言えんなあ。でも、その境目にあるのが妥協かもしれへんな。だから、わてはいつも妥協点を探している」と言うんです。それはどういう意味かというと、食材や素材に金をかけようと思うたら、いくらでもかけられる。でもそれでは商売にならない。だから、ここまでという線を引きつつ、お客さんに喜んでもらえるようにするのがプロの仕事である。でも、料理人としては技術に関しては妥協はしたくないから、自分が納得するまでとことんやる。最近はどの業界でもプロの手前止まりの奴が多すぎるが、職人は適当なところで妥協するのではなく、お客さんにとって喜ばれるものと自分のこだわりとの妥協点を突き詰めて、最高のところまで持っていく。そういう仕事ができているかどうかが職人のあり方だと言うんです。これって料理人に限らず、いろんな職業に当てはまる、仕事をする上での心構えですよね。「人」としてどうあるべきかを語る上でも、至言名言だと思います。
大衆の心を捉える「食マンガ」の可能性
『味いちもんめ』は開始から35年以上経った現在も好評でまだ連載中なんですが、こんなふうに「味」と「技」と「人」という要素を掛け合わせながら、伊橋くんが職人として成長して、和食の真髄を極めていく姿が描かれています。人間の成長というヒューマンドラマ的なものはもちろん、和食がなぜここまで世界で受け入れられているのかといった話に通じるものも描かれた、非常に大人向けの作品でもあるので、食マンガというジャンルの幅広さを考える上でも、最初にこの作品を紹介したいと思いました。
職人の世界って今の時代には、ともすればブラックと言われかねない世界ですが、最近のエピソードでは、若い職人にどうやって仕事を教えようかと悩む姿も描かれている。連載誌が『ビッグコミック スペリオール』(小学館)ということもあるのか、35年以上にわたる連載期間中に変化してきた世間の価値観や感性など、ちゃんと時代に応じてアップデートしているのも、長く連載が続いている理由かなと思いますね。
ちなみに、『味いちもんめ』はシリーズすべてをあわせて番外編も含めると80巻ぐらいになるシリーズなんですが、俗に「コンビニコミック」と呼ばれる、コンビニ販売用に再編集された単行本も版がけっこう出てるんです。コンビニコミックって、そのマンガが読みたくて買いに行くというよりは、たまたまコンビニに寄ったら置いてあって、ちょっと読みたくなったから買ったみたいな感じで買われるものなので、作品の発表順序は関係なく、気楽に読めるエピソードをピックアップして編集されてる。個人的には、その「気軽さ」が食マンガの特性と非常にマッチにしていると思う。アンソロジー的なおもしろさも味わえる、独自の文化ジャンルとして語られていいものになってきていると感じてます」
食の原点である「食材」への回帰
今回、僕が掲げた「狩猟・農業・漁業マンガ」というテーマは、食マンガ全体から見ると「食材」にスポットを当てた話になるかと思います。食マンガが成熟していって、料理をするだけでなく、『美味しんぼ』(原作・雁屋哲 作画・花咲アキラ)のように食材からこだわるという新しい流れが出てきた中で、食材をセレクトするだけでなく、狩猟や農業のように、いちから獲ったり、育てたりすることにこだわったマンガが出てきた。食マンガの中では最も新しい流れですが、まだまだ伸びしろがあるジャンルだと思います。
「狩猟・農業・漁業」という要素を描いた食マンガということで言えば、たとえば『マタギ』(矢口高雄)とか、『土佐の一本釣り』(青柳裕介)のような、職人的な意味での狩猟・漁業マンガは、1970年代からすでに存在はしていました。それに対して、最近の「狩猟・農業・漁業マンガ」は、現実世界の流れを反映して、UターンとかIターンをして農家に転身するといった形がひとつのパターンとなっているのが、大きな特徴だと思います。
食育ブームとマッチした「狩猟・農業・漁業マンガ」
実際に都会から田舎に移住して、農業を始めたり、狩猟を始めたりすることを「半農」とか「半〇〇」とか言いますよね。専門家になるのではなく、半分は別の仕事をして、その傍らで農業や狩猟をするような。いわば、スローライフの実現ですが、そういった体験を描いたエッセイマンガのようなものが、ここ10年ぐらいですごく増えています。
その例として紹介したいのが『ボクらはみんな生きていく!』(アキヤマヒデキ)というマンガです。都会から来た主人公がジビエと呼ばれる食肉のための自然の動物を狩猟する話で、その過程もけっこうリアルに描かれているんですが、こういったマンガが最近非常に増えていて、恐らくは「食育」という言葉が一般に広まってきた結果ではないかと。「食べることと生きる力」、あるいは「食べることは命をもらうことである」みたいなテーマを描くためには、狩猟マンガは非常に直接的でわかりやすい。そういう意味でも最近、狩猟マンガが増えているのかなと思っています。
根底にある「田舎暮らし」への憧れ
農業でいうと『漫画編集者が会社を辞めて田舎暮らしをしたら異世界だった件』(原作・クマガエ 漫画・宮澤ひしを)というマンガがあって、Iターンをしたマンガ関係者が農業を始める話です。最近すごく流行っているマンガのジャンルで「異世界転生もの」というファンタジーの一種があって、このマンガの場合は田舎暮らしを異世界と見なしたものですが、「異世界で農場を作ろう」「異世界のんびり農家」といった作品は、異世界に転生して農家をするという、正真正銘の異世界転生×農業ファンタジーですね。
とにかく、最近の農業マンガの多さには、現代人、ーー特に都会に住む人たちが、田舎で農業や狩猟をするという、スローライフ的な世界にいかに憧れているか、実感せずにいられません。
ちなみに異世界転生というジャンルは、ある種の発明でもあって。物語のリアリティラインが曖昧でも、ちょっとぐらい現実と不都合があってずれていっても、「だって異世界ですから」と言えちゃうところがあるんです。転生したときに、すでにチートな能力を持ってることも多くて、それが農業の能力だったり、狩猟の能力だったりする。そういう意味では文字通りファンタジーなんですが、だからこそ読者が癒しを感じるという側面もあります。もちろん一方で、現実の農業や狩猟の大変さをリアルに描いた作品もたくさんあるので、今後ますます多彩に盛り上がっていくジャンルだと思います。
少女マンガ初の料理マンガ『ケーキケーキケーキ』
『マンガの遺伝子』(斎藤宣彦)に、料理マンガについて詳しく書かれている章があります。本書では料理マンガの定義を、「『①作品中で「料理(スイーツやお酒などの飲み物を含める)をつくること」が描かれている』『②つくる“過程”が大事。作り方や手順にも触れられている』『③“味”も大事。おいしさに関する表現がなされている』(本書p162より引用)」としています。そして、この3つに当てはまるもので、少女マンガ初の料理マンガは何かというと、萩尾望都先生が1970年に描いた『ケーキケーキケーキ』だと記されています。
今回、私のテーマは、少女マンガというジャンルの中で、どのように食が描かれたかですが、この『ケーキケーキケーキ』が、ある意味、そのテーマのポイントを網羅した作品なので、まずはこの作品について説明したいと思います。
『ケーキケーキケーキ』の内容を簡単に説明します。本作は、3人姉妹の末っ子で、取り立てて得意なことはないけれど、お菓子を食べることが大好きなカナという女の子が主人公です。ミュージカル仕立てのかわいい表現で物語が進んでいくんですが、画面を盛り上げる小道具として、お菓子がたびたび登場します。お菓子が「かわいい」を演出する小道具として描かれるーー第一のポイントだと思います。
そして、この作品は「職人」を描くマンガでもあります。カナはあることをきっかけに、パリに留学してフランス菓子職人を目指しますが、その道は決して優しくない。弟子入りを希望した店で「女は長い髪をしてる」「結婚という逃げ場もある」など言われ、門前払いを食らいます。その言葉を受けて、カナは長い髪をばっさり切り、本気で菓子職人の道を目指す決意を見せるんですね。料理や食を通して、女性の自己実現、自立が描かれるーー第二のポイントです。
カナの根性と才能を認めた師匠のおやじさんは、カナがかつて憧れた天才菓子職人アルベールのお父さんでした。おやじさんは、カナに亡き息子・アルベールの姿を重ね、技を伝授していきます。次第に二人は家族のような絆を築いていきます。――それが第三のポイント。
このポイントをおさえて、その後の少女マンガで料理・食がいかに描かれたかを説明したいと思いますが、その前に、『ケーキケーキケーキ』以前の少女マンガで食がどう描かれていたかについても少しだけ触れておきます。たとえば、1963年に連載された『ユキの太陽』(ちばてつや)のワンシーン。主人公が育った孤児院の食事の様子が描かれています。この食事シーンで孤児院がどんなところか、一目で想像できますね。また、1959~1970年に連載された『チャコちゃん日記』(今村洋子)では、食事シーンから、主人公が中流家庭の娘さんであることがうかがえます。つまり、登場人物の暮らしぶりを伝えるための一要素として食が描かれていることがありました。また、1970年以前の少女マンガの食のシーンで注目してほしい場面として、「ティータイム」があります。例として1960~1963年に連載された「マキの口笛」(牧美也子)を挙げると、本作には西洋風のキッチンや食器、そして、おしゃれなママとのティータイムが描かれています。憧れた読者はとても多かったと思います。こうした世界観はその後も受け継がれ、『ケーキケーキケーキ』もそうですが、「お菓子」が「かわいい」の小道具として描かれるようになった流れを作ったのではないかと思います。
「かわいい」を演出する小道具としてのお菓子
日本のティータイム文化発展には少女マンガの影響が強いと私は考えます。特に1970年代以降、陸奥A子先生、太刀掛秀子先生、田淵由美子先生などの「乙女ちっくマンガ」と呼ばれる作品郡の貢献は改めて取り上げるべきかなと。これらの作品には、喫茶店で飲むクリームソーダ、リボンや包装紙でラッピングされた手作りのお菓子など、ティータイムが「かわいい」を演出する小道具としてたびたび描かれました。また、『マルメロ・ジャムをひとすくい』(田渕由美子)のように、タイトルにお菓子の名前が入った作品もたくさん登場します。洋風のお菓子や飲み物、食器類への憧れが、物語をおしゃれに演出していました。また、「乙女ちっくマンガ」には分類されない作家さんではありますが、大島弓子についても言及しておきたいです。大島弓子は、『バナナブレッドのプディング』など、タイトルやセリフにお菓子や果物の名前をたびたび使った作家さんです。しかし、マンガの中に食シーンが多数登場するわけではないんですね。でも、「お菓子」が作品をセンスよく演出する小道具として効いている。「乙女ちっくマンガ」のような可愛さがあるのに、描いている内容自体はシビアなものが多い。このミスマッチが大島作品の魅力の1つですね。大島作品に影響を受けた料理研究家もいて、お菓子研究家の福田里香さんは自著『まんがキッチン』などでも語っています。
食を通して「幸せ」とはなにかを描く
1980年代から90年代には、『美味しんぼ』『クッキングパパ』(うえやまとち)などの登場で、食マンガが一大ジャンルと化していきます。少女マンガも無関係ではなく、1987年に始まった『ゆめ色クッキング』(くりた陸)や、1993年に連載を開始した『おいしい関係』(槇村さとる)など、常人離れした味覚を持つ少女が料理の才能を開花させ……といったお話が登場しました。それらは平凡だった少女の自己実現、あるいは自立の物語でもありました。料理自体も詳細に描かれるようになります。どんな食材を使い、どんな調理方法で、味はどんなか?食感は?など、少女マンガの食がよりリアルに描かれるようになります。憧れの世界だけではない、現実を見つめる。よりリアルな少女像が描かれていく流れともリンクしているかもしれません。
さらに2000年代に入ると、『孤独のグルメ』(原作・久住昌之 作画・谷口ジロー)に代表される「食べるだけ」のマンガ、「食べ歩きマンガ」が流行しますが、少女マンガでも「食べること」を中心に据えた作品が出てきます。たとえば、2005年に発表された『女の子の食卓』(志村志保子)は、様々な食べ物を軸に友情・恋愛・家族のあり方を一話完結で描いています。「食べること」が人の絆を作るというお話が増えていきます。
食を通して、家族や女性の在り方を描く
現在、食のシーンを丹念に描くことで家族のあり方、女性の生き方を表現するマンガ家はたくさんいます。たとえば、少女マンガの遺伝子を受け継ぐマンガ家だと、羽海野チカやコナリミサト、渡辺ペコなどなど……。少女マンガ誌に活躍の場を限定しない、ボーダレスな活躍をする女性マンガ家も今では当たり前になりました。女性のエンパワメントになるような食マンガも多数出てきています。
2021年に発表された『今夜すきやきだよ』(谷口菜津子)は、独身女性2人の同居物語ですが、片方が彼氏からプロポーズされたことで互いに普通の結婚とは何かを考えるようになります。夫婦別姓といったリアルな問題も描かれますが、作中においしそうな料理が描かれているのが、いい緩衝材に。食を通して、「枠にとらわれない家族像」が描かれます。
また、2020年から現在も連載中の、『作りたい女と食べたい女』(ゆざきさかおみ)も紹介したい最近の一作です。女性が「料理好き」と言うと、悪気なく「いいお母さんになる」と言われることがありますが、本作の主人公はそれを「自分のために好きでやってるもんを『全部男のため』に回収されるのつれ~な~」と嘆きます。しかし、近所に住む大食いの女性・春日さんと仲良くなり、一緒にごはんを食べるようになってから、生きづらさを感じていた彼女は救われていきます。また、この作品は、春日さんが大きな口をあけて、ばくばくと食べるシーンが見どころですが、それらのシーンに改めて注目してほしいです。2000年代、食マンガブームが起きた際、女の子がご飯をたくさん食べる作品はたくさん登場しましたが、それらはどれもどこかエロティックで。しかし、春日さんの食べるシーンはそうした表現と結びついていません。本作のような作品が出てきたことに時代の変化を感じます。令和に読むべき食マンガです。
ファンタジーマンガ×食マンガの新ジャンル
ここ10年ほどの間に、もともと二大人気ジャンルだった「ファンタジーマンガ」と「食マンガ」が合体したような作品が次々に登場していて、人気の巨大ジャンルになっているんです。ここでは「架空・異国のメニュー」というテーマで、そういった作品をいくつか紹介したいと思います。
まずは、ファンタジー食マンガの先駆けにして傑作といえる『ダンジョン飯』(九井諒子)。ファンタジーゲームを彷彿させるダンジョン世界を舞台に、倒した怪物をおいしく食べるという。これは食マンガとしてひとつの発明だったと思います。そして、『空挺ドラゴンズ』(桑原太矩)は、龍を狩っている人たちとそれを料理して食べる人たちを主人公とするファンタジーで、世界観としては『ダンジョン飯』と似てるんですが、僕は前出の狩猟マンガというか、捕鯨みたいなものにも通じるところがあるなと感じました。陸で住んでる人たちが持っている、捕鯨をしている人たちに対する微妙な感情、一種の差別と憧れが入り混じったようなものが『空挺ドラゴンズ』でも描かれている。これは捕鯨ならぬ捕龍マンガだなと思いながら読んでいます。
『ハクメイとミコチ』(樫木祐人)は、小人の女の子二人の日常を描いた作品です。彼女らが食材を獲って、料理を作る姿がかなりリアルに描かれていて、異世界なんだけどリアルな狩猟マンガであり、食マンガです。『とんがり帽子のキッチン』(著・佐藤 宏海 原作・デザイン・白浜 鴎)は『とんがり帽子のアトリエ』(白浜 鴎)という作品のスピンオフで、魔法使いの男性二人が、子供たちの寝静まった後で、夜食を作るという作品。魔法を駆使して特殊な食材を使うなど、ファンタジーではあるんですが、読んでいると意外と同じようなものが作れそうなリアリティのあるファンタジーマンガですね。
アイヌの食文化を描いた『ゴールデンカムイ』
あとは大人気作品の『ゴールデンカムイ』(野田サトル)も、見方によっては食マンガに入れないわけにはいかない作品だと思います。皆さんご存知のように、近代におけるアイヌの文化をものすごく丁寧に描いた作品なんですが、なかでもアイヌの料理や狩猟を含めた食文化がかなり詳細に描かれています。昨年、北海道にできた国立アイヌ民族博物館の2回目の企画展で『ゴールデンカムイ』が紹介されたくらい、アイヌの文化を正確に描いているんです。『ゴールデンカムイ』はある意味、僕らが「日本」と呼んでいる地域の中の「異文化」を描いていると考えられていますが、一方で、本作で描かれているアイヌの食文化を、「日本料理」の一種とみなすこともできなくない。「日本の食」というものを考えるとき、どこからどこまでを「和食」とか「日本食」と考えればいいのか、ーーそんなことを考えるきっかけにもなる作品だと思います。
食を通した異文化への歩み寄り
『北北西に曇と往け』(入江亜季)は、アイスランドで探偵業を営んでいる日本人の少年の話ですが、作中でラムなどの肉を食べまくるんです。日本人が外国に行った時に何をおいしいと感じるかといったことを考えるきっかけになる作品ですね。『紛争でしたら八田まで』(田素弘)も主人公の女性が地政学的な知識を生かして国際問題を解決していく作品ですが、その中でいろんな国でいろんなものを食べる。彼女は特に、珍しいものがあったら何でも食べてみてるんですが、そのおいしがる様子が、非常に重要なシーンとして描かれるんです。食を通した「異文化」理解みたいなことまで考えさせられる、かなり興味深い作品だと思います。
味が想像できると食べたくなる
食マンガにおいて「未知」というのは、すごく重要なキーワードのひとつではないかと思っています。すべての食マンガが未知の食材や未知の料理を描いているわけではないんですが、たとえば知っているメニューでも、自分が知っているのとまったく同じものでない限り食べてみたい、もしくは作ってみたいと思えるところがあります。また、料理自体は見たことがないけれど、食材から想像すると作れるというものもあります。
たとえば、『女の園の星』(和山やま)の中に登場する「うどんまん」です。「うどんまん」なんて、誰も食べたことも、見たこともない。それが、このマンガの中では「うどんまん」です。「ラー油と胡麻油が効いたうどんが中に入ってるんです」という女子高生の説明入りで、すごく自然に出てくるんです。この時点で、多くの読者像は「うどんまん」を想像して「えー?」と思うはずで、先生も「需要はどこにあるんですか」って聞くんですが、「文句があればあの焼きそばパンにも怒りなさい」というようなツッコミまで周到に描かれていておもしろい。「うどんまん」なんて誰も食べたことないし、実在するかも謎なんですが「ラー油と胡麻油が効いたうどん」は想像できるだけに、食べてみたいと思わせられる。
あとは、『Dr.STONE』(原作・稲垣理一郎 作画・Boichi)の「猫じゃらしラーメン」。猫じゃらしは通常食材としては使われないし、猫じゃらしを食べたことがある人はほとんどいないと思うんですが、ラーメンの味は誰もが想像できるだけに、ちょっと挑戦してみたくなります。
ラーメンも外国人読者には「未知の食」
それが「未知」かどうかは、読む人によっても変わってきますよね。私は韓国出身で子供の頃から日本のマンガやアニメに親しんでいたんですが、その中にやたらラーメンを食べるシーンが出てきて。当時は私、日本のラーメンを食べたことが無かったので、どんな味がするんだろうと思っていました。海外の読者からは、メロンパンやカレーパンについても、どんなものなんですか?本当にメロンの味がするんですか?と聞かれることがあります。こういったパンは日本独自のものですし、私自身、子供の頃に『アンパンマン』(やなせたかし)のアニメを見て、ずっとカレーパンってどんなものだろうと思っていたので、日本に初めて来た時はまっさきにカレーパンを買って食べた記憶があります。日本人にとってはおなじみの味も、海外の読者にとっては、未知の味になるし、日本に興味を持って、日本文化を知るためのひとつのきっかけになっていると思います。
食べ慣れたものもマンガで読むと新鮮に映る
また別のケースとして、読者はそれを知っているけれど、マンガの中の登場人物は知らないという「未知の味」もあります。たとえば。現代の医者が江戸時代にタイムスリップする『JIN—仁—』(村上もとか)というマンガがあります。仁は江戸時代に脚気という病気を治すため、あんドーナツを開発していろんな人に食べさせるんですが、江戸時代の人々はあんドーナツは当然知らないわけで。あんドーナツを食べて感激する様子が読者からすると新鮮で、読んでいると無性に食べたくなるんですね。同じような現象は、『銀河鉄道999』(松本零士)でもあって。明日の星という昭和の日本を思わせる星に行くエピソードの中で、哲郎が初めてラーメンを食べるシーンがあるんですが、『銀河鉄道999』の中では、ラーメンはすでになくなった食べ物なので、哲郎はものすごく感激する。自分が食べ慣れた食べ物でも、マンガの中の登場人物にとって未知の食べ物で、それを珍しそうに喜んで食べる様子を見ると、自分も同じ目線になって新鮮に思えて、食べたくなってくる。なので、未知というのはマンガにとっては、すごく重要なキーワードだと思います。
クロストーク
では、第二部は皆さんとクロストークという形で「マンガの中の食」や「食とマンガの歴史」についてトークできればと思います。まず、本日お越しいただいた梅本ゆうこさんをご紹介したいと思います。「漫画食堂」というマンガに出てくる食を再現するブログを2008年から運営されていて、同名の書籍も出版されています。マンガの中の食における第一人者です。
マンガの中の食を再現してネットにアップするようなことは、昔からマンガファンの間ではけっこうメジャーな文化だったので、第一人者というとおこがましいですが……。
でも、趣味というには扱われているマンガのジャンルもものすごく幅広いですよね。
もともと子供の頃からジャンル関係なくマンガが好きで読んでいたんですが、今思えば、羽海野チカさんとかよしながふみさんとか、生活を描くタイプのマンガ家さんが好きだったので、おのずと食のシーンが多いマンガを読んでいたり、食べ物を描くことが好きな作家さんが好きという傾向はあったと思います。